幼女戦記は戦争と日常が交差する異様な世界を描く。
戦場の片隅で砲撃が轟いた瞬間、誰もが思いつかない物の存在に目を奪われる。パンが転がり落ちる音と、破損した天井から垂れる塵が空を裂く。そこには戦意に満ちた兵士たちが、まるで舞台劇の幕開けのように動き出す。彼らの間に漂う空気が、戦闘よりもっと鋭い刃になる。
戦術の説明が「宇宙の法則」に置き換えられる度に、空気が凍結する。帝国軍の将校が白黒逆転の策略を述べるとき、敵対する連合軍の兵士たちは笑いを堪えきれなくなる。そんな隙間を縫って、少女兵士が「お茶請け」と称してコーヒーを渡す。その会話が、戦場の温度を上げる。
朝の光が戦車の金属面を照らし、夜の闇が砲弾の閃光を飲み込む。どこにもない朝ごはんの準備や、帰宅時の風呂場の雑音が、戦火の中に生えているような感じだ。そんな日常の一部が、戦争の隙間で息をしている。
突然、戦場の兵士が「今すぐポケモンカードゲームしたい!」と叫ぶ。その瞬間、戦闘の緊張が剥がれ落ちる。戦勝の喜びは、部屋の床が次々と崩れる音とともに消えていく。
戦争とは何か。それは単なる殺戮ではなく、日常との狭間で芽生える無垢な希望と、それを打ち砕く暴力の連続だ。幼女戦記が描くのは、その両方を同時に飲み込んでいる世界。
DMMブックスやKindle、BOOK☆WALKERなどで手に入る。
戦場の端から端まで、少女の目が走る。彼女の視線は戦車の砲塔と、隣の兵士の制服の汚れを同時に追いかける。そんなありさまが、戦争という箱庭の外側から覗き込んだように見える。コーヒーの香りが空気を裂いた瞬間、戦意は水溜りに投げ込まれるように薄れ、誰もが自分のポケットに手を伸ばす。
朝の光が戦車の金属面を照らすたび、その上で映るのはいつも同じ顔だ。朝ごはんの準備をしながら戦術を練る兵士たちが、どこかで自分自身の影を見つめている。夜になると、砲撃の轟音が耳を刺すほど近づく。それでも誰もが、帰り道の風呂場の音に夢中になる。そんな日常の一部が、戦火の中で生きているような錯覚を起こさせる。
戦車の窓ガラスに浮かぶ雨の粒が、まるで小さな星のように揺れている。その中に映る少女の瞳は、戦場の灰を浴びてもどこか透明で、まるで誰かの思い出を抱きしめてるようだ。砲弾が地面を叩く音に混ざって、遠くから聞こえるのは朝食の準備に使うフライパンの音。そんな些細な音が、戦争の間に隙間を切り開く。
戦術の講義が終わると、いつものように女子兵士たちは廊下を歩き始める。足音が砲台の金属音に似合うと気づけば、すでに彼らの心は戦場へと向けられている。だがその背中には、家路につく日のことを思い描いている。夜になると、部屋の電気が消えるたびに、誰もが自分の中にいる小さな子どもを思い出す。それが戦争の奥底にある、忘れられない温もりだ。
読み返すたびに新しい何かが見えてくる。例えば、戦車のシートに置かれた一本のチョコレート。それがあまりにも普通すぎて、戦場の空気が少し薄くなったように感じる。あるいは、敵の将校にコーヒーを渡すとき、少女の声がなぜか震えていること。戦意とは別物のような、どこか切ない純粋さがそこにある。
戦争という枠を超えた存在として、読者の胸に刻まれる。それは単なる物語ではなく、現実の歪みを露呈する鏡のように鋭く光っている。戦場の塵が風に乗って舞うたびに、少女たちの笑顔が曖昧になっていく。その笑い声は戦意ではない、生きたいという願望の証だ。
通勤電車の中で読むと、隣人のスマホ画面が突然戦車の砲塔に変わって見える。通勤時間帯の疲労が、戦場の疲れと混ざり合い、目を開けるたびに現実が揺らぐ。休日に読むと、家族との日常が一瞬で崩れ落ちるように感じられる。戦争の終わりが来る前に、もう一度昨日と同じ朝食を食べたかった――そんな欲求が胸に迫ってくる。



